合気道大阪研究会の研究報告

合気道は生き方である

合気道は植芝盛平翁(大先生)が創られた武道です。一般的には、護身術として使える側面が印象強くありますが、私は安定した心と身体の使い方を学ぶのによい武道であると感じております。

大先生は生前「合気道が日常に活かせるようになったら、その合気道は本物だ」、2代目植芝吉祥丸道主は「父の目指したのは、現代に活きる武道です」と仰っています。私の師である多田宏先生の著書にも「現代に活きる武道を目指して」とあります。

では、「現代に活きる武道」とは具体的にどういったことでしょうか。合気道において、そこが伝わりづらく、曖昧になりがちな部分です。しかし、これを明確にしなければ合気道を格闘術だと誤認し、すぐ執着の稽古に流れてしまい日常生活でもとらわれることになります。つまり、合気道の技を上達するために、まず合気道を自在に使える人間になることが大事であるということです。

稽古とは

突然ですが、稽古と練習は異なるものです。
「稽古照今(けいこしょうこん)」という4文字が、日本最古の歴史書である『古事記』の序文に出てきます。「古(いにしえ)を稽(かんがえ)て、今(いま)に照(て)らす」つまり「昔を参考にして、今の世界を明らかにする」というものが稽古です。
古事記は、西暦712年、今から約1300年以上前の書物です。その時代から、古から学び考えることが大切であると云われているわけです。
合気道の稽古もまず、日本の伝統的な身体操作を丁寧によく学び、自分の心身と向き合い、今の生活に活かしていくことが大切です。

心技体

武道でよく用いられる言葉に「心技体」があります。
しかし、現代では体力や技の形のように目で見て分かりやすい所ばかりが取り上げられ、心にいたってはどれだけ強く執念をもってやりとげるかという流れになってしまうこともあります。
まずはじめに合気道における「心技体」をまとめておきましょう。

「心」
常に安定していること!(安定打坐(あんじょうだざ)、集中→統一→三昧)

「体」
 心の命ずるまま自在に動くこと!(呼吸法でよく神経反射や内的感覚を高める)

「技」
 合気道の技、姿勢、足捌き、手捌き、機、目付…(正しい動きを身につける)

昔の武道家たちが、なぜ最終的に仏教や神道へとたどり着くのかもここにあります。技を覚え、体を鍛えれば短期的に強くなることができます。しかし、これは相対的な強さであり、突き詰めていくと本当の強さは別にあることに気付きます。とらわれない心や自在に動く体がないと技や力が上手く扱えないのです。例えるなら、レーシングカーが優れていてもドライバーの心が乱れていてはレースで勝てないということです。そこで、武道家たちは仏教や神道から心身の安定した使い方を学ぼうとするわけです。多田先生の稽古では、この両者が巧みにミックスされています。稽古で何をやっているか見失わず、自分の心技体をバランスよくしっかり磨き上げましょう。

見える稽古と見えない稽古

心技体とつながりますが、合気道をはじめ、武道には実際の動きや技の形のように「見える稽古」と心や体の感覚といった「見えない稽古」の両方が必要です。

見える稽古: 姿勢、足捌き、手捌き、技の手順や形、機、目付…

見えない稽古:  体内の感覚、心の状態、同化、腕に振動や力を流れているイメージ…

経験が不足していると「見えない稽古」の重要性が感じにくいかもしれませんが、合気道の技の上達には、心身の安定技術と内的感覚の向上が欠かせません。
大先生の稽古で感じられる見えない世界の技術を理解していくために、中村天風先生の心身統一法が最適であったため、合気道多田塾の稽古では呼吸法などを行っているわけです。

※植芝盛平先生の道歌 「誠をば、さらに誠に練り上げて、顕幽一如の真諦を知れ」

安定打坐(あんじょうだざ)

多田先生が稽古の初めに仰る言葉ですが、中村天風先生の「安定打坐法」からきています。
安定打坐法とは、雑念が多い状態から、集中状態そして無心へと自分を導く方法です。
具体的に手軽な方法としては、音・聴覚を使う方法があります。姿勢を正して、りんや遠くの山にあるお寺の鐘の余韻に耳をかたむけるという方法です。徐々に薄れていく鐘の余韻をただ静かに聞き続けることで「絶対の静寂」に浸る瞬間、「無心」になる感覚が得られます。

次に連想・イメージの中でもそれが行えるようにします。無心の「音のない状態に同化する感覚」が得られたら、次にいつでもその状態になれるようにします。技をかけるときや杖・木剣を振るときに、この心の状態(無音の音に同化する感覚)を使えるようにします。

有我有念(傾注)⇒ 有我一念(集中)⇒ 無念無想・無心(三昧)

呼吸法をなぜ行うか

呼吸法は合気道多田塾では、必ず稽古の頭に行います。
初心の頃は、1・2・3と心の中で3つ数えながら息を吸い、少しとめおき、7つほど数えながらゆったりと息を吐いていきます。呼吸法には大きく3つの役割があります。

①生理学医学的:自律神経の副交感神経を優位にして、バランスを整える。

②精神的:この世界を有らしめている気・活力を全身に感謝の気持ちで吸収する。

③体感的:呼吸のリズムに合わせて、全身を感じ取り、内的感覚を高める。

道には2つある~心学の道と心法の道~

一般的に心というと礼節や倫理観を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、倫理観はその時代や場所によって大きく変化します。合気道で学ぶ道とは、心と身体の使い方です。

*心学の道:その時代の一般社会の倫理。儒教的な道。→ 学校や親から学ぶ

*心法の道:心と身体の使い方。→ 武道や楽器など芸術から体感して学べる。

「心学の道」とは、封建制度が確立したのち、社会を成り立たせるために生まれた社会倫理の道。
「心法の道」とは、老荘の自然哲学・神道・密教・禅などの行・心の探求から発した法・理のことです。
多田先生がよく「心は音楽家、体は楽器」と仰るのも「心法の道」です。できれば幼い頃から楽器の演奏や武道などを通して、自分の心と身体の安定した使い方を学ぶことが大切です。
現代人は、ついつい数値化できないものは避けて通りがちですが、心が体や動作に影響することは誰でも知っています。
いかなる場合でも心身を安定させて行動できる技術は一生の宝となります。自分の心身と向き合って「心法の道」を学びましょう。

上達するためには…

技が上達するには、まず丁寧に回数を重ねることが大切です。連想行もふくめ、何千回も何万回も稽古していくと自動的に動けるようになります。例えば、自分の名前を書くときにササッと手が動くのと同じように、「四方投をやろう」と頭に描くと体が動くようになります。そして大事なのは、自分のイメージと実際の動きの間にズレが生じていないかということです。大抵の方は、ここで躓きます。 それを修正するためには、自分の技を客観的に研究し、呼吸法や瞑想などで内的感覚を高めていくことが重要です。

待ったをしない

本当に初心の時はまた別ですが、白帯であろうと黒帯であろうと技をやり始めたら、絶対に「待ったをしない稽古」をしてください。「右で来ると思ったら、左で来た!」そんな時もできるだけ流れを切らないように技をかけます。
もし、入身投なのに四方投をかけ始めてしまった…と技を間違っても、落ち着いてやりきります。 我々の稽古は、気の流れ錬磨ですからはじまった流れは切らずにやりきってください。すると、いつしか不意な動きにも、体が反応して適切な技をかけられるようになります。

怪我をしないさせない

無駄な力みがなく、すみずみまで気が通れば、怪我もせず、怪我もさせない稽古ができるようになりますが、どうしても力が入ってしまうことがあります。 特に男性は、力強さを求めてしまいがちですが、速く、強くやればそれだけ気の流れも感じれなくなり、稽古になりません。相手の技量を感じ取り、適切な速さ力加減を心がけ、受けと取りが一体になるような稽古を目指してください。

早めに木剣と杖を手にする

私は、四級のときから杖と木剣の型をやりはじめました。合気道の稽古をしていると「杖や木剣なんて、黒帯になってから…」と考えがちです。しかし、私の経験上、黒帯になってからやりはじめるのは遅いと感じます。合気道の動きは、剣術と槍術の動きが元になっています。
白帯から杖や木剣を振っていると、体術だけよりも体の動きにメリハリがつき、技のキレも良くなります。初心の頃にきっちりと体や姿勢の基礎を作り上げるためにも早めに木剣と杖を手にして、振ってみることを私はお勧めいたします。

杖の型の手順PDF

自らの安定が一番

稽古を一生懸命やっているとどうしても技をしっかり掛ける事に執着してしまいがちになります。
もちろん技がしっかりと掛かることは大切ですが、多田先生は「いかなるときも常に自らの体の安定が一番だ」と仰いました。確かに多田先生の技をよく観察すると技のかけ始めから終わりまで、さらに技と技の間も常に姿勢良く体が安定しており、連続写真を撮るとどの瞬間も絵になっています。
この境地を目指すにあたって、私はまず一人稽古がとても大切であると思います。一人で動きふらつくようでは、稽古で相手にしっかりと技は掛かりません。
一人稽古でしっかりと入身、転換から四方投表裏、入身投、一教など安定して動けるように稽古することで連想行も同時に行われ、上達への近道になります。稽古がない日も、指先足先までしっかりと気を通し、姿勢良く動けるように一人稽古をしっかり行ってください。

いかなる時も肛門がしまっている

「安定が一番」につながりますが、なるべく足幅は広く、腰をしっかり落としたままで動き、上体はゆったりまっすぐ立っている。 そして、常に肛門がしまって腰がまっすぐになっている状態であること。もし技をかけている時やかけられているときにふらつくようであれば、自分で肛門をしめることを意識してください。余計なところに力を入れずに、肛門だけをしめる感覚はクンバハカによって体感してください。普段歩いている時もお尻が後ろに出ずに、腰がしっかり立っている感じです。私のイメージでは、頭のてっぺんを糸で引っ張られるようにまっすぐ立ち、腰からまっすぐ前に歩く感じです。

先の先

多田先生は「相手と触れた時には、技の8割は完成していなければならない」と仰います。
体の面においては、触れた瞬間には相手の前にはいない!そして、触れる前から技が描けている!その技の線の閃きが大切です。自ら気力を持って迫り、相手に「打たせる」「持たせる」という先に場を作り主宰する「先の先」を心がけて稽古してください。